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大分県が日本一の干し椎茸の産地である理由

大分県_しいたけ

 

大分県は、日本一の原木 干ししいたけの産地として有名です。同じ大分県のブランド食材「関あじ・関さば」に比べれば地味かもしれませんが、大分県民の誇りであることに間違いはない「しいたけ」。


大相撲の通称「しいたけ杯」(OSK杯)、

 

OSK_しいたけトロフィー

写真提供 大分県椎茸農業協同組合

 

まさかの美味しさ「しいたけカレー」など、しいたけネタも山ほどあります!


では、全国にはたくさんのしいたけ産地があるなかで、なぜ大分県が日本一なのでしょう?大分県民にとっては 当たり前すぎて、これまであまり触れられていなかった素朴なナゾをひも解きます!

 

全国の干し椎茸の生産量

大分県は、全国一の生産量を誇る干ししいたけの産地です。林野庁が公開している最新のデータによると、平成27年、原木干ししいたけの全国の総生産量は2453.4トンで、大分県の生産量は1115.1トン。

 

乾しいたけの生産量(合計)

 

大分県で生産される干ししいたけの量は全国の約半分を占めていて、しかも2位の宮崎県(464トン)、3位の熊本県(202.3トン)を圧倒的な大差で引き離しているほど。


参考:林野庁 平成27年特用林産基礎資料

Ⅱ品目別資料 10:乾しいたけの生産量(合計)

 http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001172683

これは近年に限ったことではなくて、平成15年頃からずっと、大分県の干ししいたけ生産量は全国のほぼ半分を占めているんです。


もう、不動の地位を築いているといっても過言ではありません!

 

干し椎茸生産量_表
参考:大分県農林水産部林産振興室「乾しいたけの生産量」 http://www.pref.oita.jp/uploaded/life/2542_139077_misc.pdf

 

大分県のしいたけ生産は生産者さんの努力に支えられている

姫野一郎商店_しいたけ採取01

 

毎年この生産量をキープし続けることができているのは、そもそもの生産者さんの数も多いから。


さらに、生産者さんたちの「良質なしいたけをつくろう」というモチベーションも高く、日本椎茸農業協同組合連合会主催の「全国乾椎茸品評会」では、2017年も大分県が団体の部で優勝。


開始以来65回目を数える今年の優勝はなんと19年連続になるもので、他の追随を許さず、トータルで51回目の団体優勝となりました。


このように、大分県で生産されている原木干ししいたけは、まさに、量も質も日本一なんです!

大分県には原木しいたけ栽培に欠かせないクヌギの木が豊富

しいたけ_クヌギの木

 

大分県が、原木干ししいたけの生産量でトップを走り続けている背景には、生産者さんたちの努力はもちろん、しいたけを育む【環境】に恵まれているという利点もあります。


大分県はその面積の約70%が森林に覆われています。森ではスギやヒノキの人工的な植林もさかんですが、太古の昔に生まれた自然の森に多かったのが、クヌギの木。


秋になるとモジャモジャの帽子をかぶった丸いどんぐりがなる木です! このクヌギの木こそ、しいたけを栽培する【原木】としてふさわしい木なのです。

クヌギの木がしいたけの原木栽培に適している理由

クヌギがなぜ原木に適しているかというと、まず、成長が早いからというのが大きな理由。苗から植えても、いったん伐採した切株も、10〜15年すると木材として利用できるほどのサイズに成長するんです。


また、クヌギの木は適度な水分を保てるうえ、養分も豊富。


菌を打ち込み1年半かけてじっくり寝かせている間、この水分と養分のおかげで原木に菌糸が十分にまん延するため、良質なしいたけがたくさん発生するのです。


大分県でも特にしいたけの栽培がさかんな地域は、クヌギの木が多い森に恵まれています。しかも、姫野一郎商店がある竹田市と隣接する豊後大野市は「ユネスコエコパーク」の一部。

 

祖母・傾・大崩山系ユネスコエコパーク

 

北東部の国東半島も主な原木しいたけの産地ですが、ここは「世界農業遺産」に認定されるなど、世界に誇れる自然環境で、大分の良質なしいたけは育まれているのです!

 

国東半島宇佐地域世界農業遺産地域ブランド認証制度

大分県では原木しいたけの栽培~販売が昔から商売として成り立っていた

原木干ししいたけを栽培するのに最適な環境は、商売の土壌も育んでいきました。大分県は、しいたけ栽培としいたけ産業の発祥の地と言われています。

大分県は【しいたけ栽培】発祥の地

しいたけ_大分_原木

 

しいたけの栽培は、今から約400年前の江戸時代初期に始まったと伝えられています。

 

佐伯藩千怒の浦(現在の津久見市)に源兵衛という翁がいて、彼は宇目に炭焼きの出稼ぎに行き生計を立てていました。

 

あるとき、炭焼き用の材木にしいたけが生えているのを発見した彼は、木に鉈で傷をつけ、そこにしいたけの胞子が着くのを待つ人工栽培方法を思いついたのです。

 

そして、この方法は「鉈目式」と呼ばれてやがて全国に伝わっていったそうです。

大分県は【しいたけ産業】発祥の地

さらに、江戸時代の執筆家・滝沢馬琴(1767‐1848)らが記した『兎園小説』という随筆(エッセイ)には、江戸や全国で見聞きしたことが書かれているのですが、そのなかに「岡藩がしいたけ栽培を奨励している」という内容がみられるんです。

 

岡藩とは、現在の竹田市のこと。ここで伊豆の重蔵という人物が、岡藩の官山で領主の命によりしいたけ栽培を始めたそうです。

 

つまり竹田市からしいたけ産業が興ったということですね!

 

竹田市長との対談でもその話で盛り上がりました。

対談 [竹田市長]首藤勝次 ×[姫野一郎商店社長]姫野武俊

原木しいたけが【商売】になった

ちょっと想像してみてください。さきほどご紹介した「鉈目式」が登場するまでは、しいたけは完全に自然発生したものしか収穫できなかったわけですよね。

 

鉈目式になってからも、木につけた傷に菌がつくかつかないかわからないわけで、収穫量は極めて不安定です。

 

当時のしいたけには、今でいうと松茸くらいの価値があったのかもしれません!

 

にもかかわらず…というか、貴重なものゆえにか、しいたけは食材として大変人気があり、古くから神様にも備えられていたほど。

 

乾燥して保存でき、出汁がとれるうえそのまま食べられるしいたけは重宝されましたが、庶民はめったに食べられないので、お祝い事のときにはしいたけの入った巻き寿司が定番となりました。

それほど人気があったので、しいたけが発生する頃になると山にしいたけを集めに行く問屋が現れ始めます。

 

明治時代に創業した姫野一郎商店の2代目・勝太郎もそのひとり。山までリヤカーを引っ張っていき、収穫されたしいたけを集めて帰ったと伝えられています。

 

姫野一郎商店_大分しいたけ

 

詳しくは、姫野一郎商店「しいたけの歴史・取組み」をご覧ください。

しいたけの歴史・取組み

 

つまり、産地では需要と供給のバランスがとれていたため、しいたけ問屋という商売が成り立っていったのです。

 

そんななか、姫野一郎商店の当主は代々、生産者との信頼関係を築き、目利き力を養い、「日本一の産地から本物のしいたけを届ける」思いで140年以上の歴史を繋いできたのです。

まとめ

大分県が長年、全国一の原木干ししいたけ産地であり続けているのは、しいたけを栽培する【環境】と、【商売】を成り立たせる土壌が江戸時代からすでに整っていたからなのです。

 

どんなに時代が変わっても、大分の生産者さんたちの「本物のしいたけをつくる」という思いは変わりません。そして、それを売る側の「本物のしいたけを日本中、世界中に届けたい」という問屋の思いも。

 

姫野一郎商店も、日本一の産地から、本物の原木干ししいたけを多くの人にお届けしたいとの思いから、どこに住んでいても気軽に産地直送の商品をお求めいただけるWEBショップにも力を入れています。ぜひご利用ください!

 

 

姫野一郎商店_ネットショップバナー

 

text=姫野一郎商店